ボランティアの報告
研究会で災害支援ボランティアを募集したところ4名の方が有志参加していただきました。
報告をさせていただきます
活動場所 宮城県 塩釜市 七ヶ浜町 (七つの浜がある 東北でも温暖で静かな町)
ボランティア参加者 (竹谷 木挽 木下 米沢)
ボランティアセンター受付風景
ボランティアセンターにはGWのためか300名近い希望者が殺到
ボランティアミーティング
活動場所までバス移動
活動現場 住宅があったが現在はこんな状態に・・・
竹谷氏のフットワークの良さに、他のボランティアさんは引っ張られて、作業もはかどりました。
あれこれとアドバイスする竹谷氏。
神戸の震災の経験が活かされていた。
昼食はボランティアさんの炊き出しでごちそうになりました。
物資はたくさんあるように見えますが、これから夏にかけての
服や下着などはまだまだ必要な様子でした。
今後の仮設住宅での生活で必要なものは
消耗品(洗剤、調味料、飲料水、清掃道具など)だと思いました。
NPOきずなの館 プレハブの中にはNPOの方が詰めておられ随時支援に出かけておられました。
被災状況
緑ヶ丘病院の看護師 松浦さん
我々がボランティアに行くと聞いて、町を案内してくださるということで動いてくださいました。
とてもアクティブな方で、最後は船を出してくださり、塩釜湾の被災状況を海から確認。
有名な松島周辺にも連れて行ってくださり、塩釜の祭りなどのお話もしてくださいました。
何よりも生まれ育った町がこんな姿になった事にショックもうけられておられましたが、
この地域は浜がきれいで、その一つの浜ではよく遊んだので、また以前のように遊べる
浜にしたいとしみじみと語られておられ、ぐっとくるものがありました。
この浜にクリーン大作戦でボランティアさんの力を結集すればきれいな浜を見られるのではと
次のボランティア活動をイメージしました。
しかし、現状は瓦礫や廃材、コンテナが流れ着いており、海の中もガラスの破片などが
残っているようでしたので、回復までに時間がかかるだろうと長期の支援の在り方も考えさせられました。
塩釜神社で復興願いました。(松浦さんと)
とても素敵な神社でした。菊のご紋がありました。
この神社から塩釜港が見えました。
震災時ここから津波が来るのを見ていた人は怖かっただろうと思います。
避難所では仮設住宅が急ピッチで作られていました。
私が様子を見ていたら、避難所におられる方が声をかけてこられました。
(ボランティアさん? ご苦労様。どこから? 自腹でどうしてこんなところまで来てくれたの?)
と問われました。
(私は地震の時 外にいたの・・信じられなかった。この町はとても住みやすいところ。これまで地震があっても被害のないところだった。私は海の前に何十年も住んでいたのに・・・10日ほどは見に行けなかった。避難してきた人で泣いてる人はいなかった。怒りだけしかなかった・・・今でもどうしてという気持ちでいる。仮設に早く入りたい。これからの事はまだ考えたくない。今は日々の生活をなんとなく過ごしている)
この方はご家族はみなさん無事だったということで、私も話していて普段通りの会話に努め
ましたが、それでも気の利いた言葉をかけないといけないかもとか、もっといろいろ聞いてみたいとか
そんな気持ちを抑えつつ、できるだけ聴くようにした。
最後にかけた言葉は(お体に気を付けてください)だった。
これが精いっぱいだったな~ これでよかったのかな~
活動が終わるころ、空をみた。
虹が出ていた。二重になった虹。
こんな虹は見たことがなかった。
私はどことなく不気味に感じた。
でも他のボランティアさんも虹を見ていい顔していた。
松島 (今度は観光で復興した塩釜を見たいと思いました。)
午後の活動ミーティング
夕食で反省会と、翌日の行動計画中
お互いに感じたことや情報交換をしました。
今回の活動では今後どのような支援が必要か考えることができました。
現地に行くといろいろ見えてきました。
メディアの情報で動いてましたんが、現地の方やボランティアの方との
交流の中で見えるものは多く、やはり現場に動いて何ぼだと思いました。
研究会ボランティアチームで二回目の活動でしたが、前回とは
また違って、いい経験になりました。
支援物資や義捐金で協力いただきました皆様に感謝いたします。 皆様のお気持ちを届けることができたと思います。 今度は一緒に現地で活動できるといいですね。
◆協力 株式会社バグネット◆
活動場所 宮城県 塩釜市 七ヶ浜町 (七つの浜がある 東北でも温暖で静かな町)
ボランティア参加者 (竹谷 木挽 木下 米沢)
ボランティアセンター受付風景
ボランティアセンターにはGWのためか300名近い希望者が殺到
ボランティアミーティング
活動場所までバス移動
活動現場 住宅があったが現在はこんな状態に・・・
竹谷氏のフットワークの良さに、他のボランティアさんは引っ張られて、作業もはかどりました。
あれこれとアドバイスする竹谷氏。
神戸の震災の経験が活かされていた。
昼食はボランティアさんの炊き出しでごちそうになりました。
物資はたくさんあるように見えますが、これから夏にかけての
服や下着などはまだまだ必要な様子でした。
今後の仮設住宅での生活で必要なものは
消耗品(洗剤、調味料、飲料水、清掃道具など)だと思いました。
NPOきずなの館 プレハブの中にはNPOの方が詰めておられ随時支援に出かけておられました。
被災状況
緑ヶ丘病院の看護師 松浦さん
我々がボランティアに行くと聞いて、町を案内してくださるということで動いてくださいました。
とてもアクティブな方で、最後は船を出してくださり、塩釜湾の被災状況を海から確認。
有名な松島周辺にも連れて行ってくださり、塩釜の祭りなどのお話もしてくださいました。
何よりも生まれ育った町がこんな姿になった事にショックもうけられておられましたが、
この地域は浜がきれいで、その一つの浜ではよく遊んだので、また以前のように遊べる
浜にしたいとしみじみと語られておられ、ぐっとくるものがありました。
この浜にクリーン大作戦でボランティアさんの力を結集すればきれいな浜を見られるのではと
次のボランティア活動をイメージしました。
しかし、現状は瓦礫や廃材、コンテナが流れ着いており、海の中もガラスの破片などが
残っているようでしたので、回復までに時間がかかるだろうと長期の支援の在り方も考えさせられました。
塩釜神社で復興願いました。(松浦さんと)
とても素敵な神社でした。菊のご紋がありました。
この神社から塩釜港が見えました。
震災時ここから津波が来るのを見ていた人は怖かっただろうと思います。
避難所では仮設住宅が急ピッチで作られていました。
私が様子を見ていたら、避難所におられる方が声をかけてこられました。
(ボランティアさん? ご苦労様。どこから? 自腹でどうしてこんなところまで来てくれたの?)
と問われました。
(私は地震の時 外にいたの・・信じられなかった。この町はとても住みやすいところ。これまで地震があっても被害のないところだった。私は海の前に何十年も住んでいたのに・・・10日ほどは見に行けなかった。避難してきた人で泣いてる人はいなかった。怒りだけしかなかった・・・今でもどうしてという気持ちでいる。仮設に早く入りたい。これからの事はまだ考えたくない。今は日々の生活をなんとなく過ごしている)
この方はご家族はみなさん無事だったということで、私も話していて普段通りの会話に努め
ましたが、それでも気の利いた言葉をかけないといけないかもとか、もっといろいろ聞いてみたいとか
そんな気持ちを抑えつつ、できるだけ聴くようにした。
最後にかけた言葉は(お体に気を付けてください)だった。
これが精いっぱいだったな~ これでよかったのかな~
活動が終わるころ、空をみた。
虹が出ていた。二重になった虹。
こんな虹は見たことがなかった。
私はどことなく不気味に感じた。
でも他のボランティアさんも虹を見ていい顔していた。
松島 (今度は観光で復興した塩釜を見たいと思いました。)
午後の活動ミーティング
夕食で反省会と、翌日の行動計画中
お互いに感じたことや情報交換をしました。
今回の活動では今後どのような支援が必要か考えることができました。
現地に行くといろいろ見えてきました。
メディアの情報で動いてましたんが、現地の方やボランティアの方との
交流の中で見えるものは多く、やはり現場に動いて何ぼだと思いました。
研究会ボランティアチームで二回目の活動でしたが、前回とは
また違って、いい経験になりました。
支援物資や義捐金で協力いただきました皆様に感謝いたします。 皆様のお気持ちを届けることができたと思います。 今度は一緒に現地で活動できるといいですね。
2011-05-07 16:58
nice!(0)
トラックバック(0)